海賊アンドリナ

July 10th, 2008

 

1276年、ビザンチンから逃げてきた指揮官、リカリオ騎士はベニス人を追い出しスコペロスを占領しました。その頃から海賊の襲撃が盛んになりました。スコペロスは海賊達にとって襲撃に備えて停泊するには理想的な場所でした。なぜならギリシャ北部の都市サロニカ港から南に向かう船舶の多くは、スコペロスとアロニソスの間かスキアソスとスコペロス東側の海路を通って航行していたからです。

パノルモスとブロは強い北風から海賊水兵らを守るには最適な場所であったため、海賊らは頻繁に停泊していました。それら海賊の中で唯一の女性海賊、アンドリナは北部エーゲ海海域で恐れられていました。

以下に記される話は真実であり、今でも言い伝えられています。その言伝えはギリシャでは唯一の女性海賊の悲劇的な結末の話です。

アンドリナとその海賊団は金塊をたくさん積み込んだ船を奪いました。その船をブロ港に停泊させ、祝杯を上げようとしていました。海賊らは食料とワインをスコペロスから持ってこようと出かけました。アンドリナは一人ブロ港に留まり、見張っていました。もちろん、住民は近寄るはずもありません。海賊らはアリキアを越え、ムルテロに進み、小さな聖母マリアの教会に到着しました。今でも現存する教会で、ペフキアの丘の上にあります。ちょうどその場所で、島の住民らは宴会を催しており、ダンスを踊っていました。到着した海賊らはダンスに加わり、変な曲を歌い出しました。住民らは酔っていましたが、その変な曲を聴いて、海賊と悟り、皆逃げ出してしまいました。逃げ遅れて捕まった住民の虐殺が間もなく開始されました。ところが最初の住民が殺害されると同時に、剣を持った聖母マリアが突如として現れ、海賊らを一人残らず殺害してしまったのです。アンドリナはその話を知ると、船から金塊を取出し、船をブロ港の海に沈め、金塊をどこか近くに隠しました。大量の金塊を隠し終えると、アンドリナはパノルモス近くの岩によじ上り、海に向かって飛び降り自殺してしまいました。それ以来、その地域はアンドリナと呼ばれるようになりました。伝え話では隠した金塊は相当の量で、その中には『黄金の豚』と呼ばれる金製の置物も含まれていたそうです。住民らや宝物を目当てに訪れる多くの人々が今でも宝探しを続けています。

礼拝堂に納められた聖ジョン

July 4th, 2008

 

島の北側に大変ユニークな小さな礼拝堂があります。その礼拝堂に関しての昔話です。

大昔、スコペロス島で2番目に大きな集落のグロッサ村に住むある男性が魚釣りに出かけました。夕方になったので彼は帰ろうと、当時多くの人々が使っていたケラモト港に向けてボートを漕ぎ出しました。するとちょうど高く盛上がった岩を通りがかった時、その岩の上に小さな光が灯っているように見え、誰かがいるように感じました。でもそんな筈はない、岩は物凄く大きく、高く、岩壁もほぼ垂直で人が登れる訳はないと自分に言い聞かせました。彼は単に幻覚か星の光が反射していただけと思っていました。

数日後、また釣りから戻る途中に同じ小さな光が見えました。今度は存在しない物が見えるとなると、頭がおかしくなり始めたかと怖くなりました。でも、誰にもそれを言わずにいました。

ところがその夜、彼は夢を見ました。夢の中に聖母マリアのように美しい女性が現れました。彼女はその岩の上には聖なる絵画が置いてあり、すべての島の住人が鑑賞しないといけないと言いました。彼は怖くなり、目覚めてしまい、すぐに村の教会の司祭を訪ね、夢の話を伝えました。夜が明ける前、村人全員がその岩に行きました。すると、小さな光は岩の上で灯っていました。それでは岩の頂上に登れるようにしようと、皆で岩壁に足場を彫り出すことになりました。

何ヶ月もかけて、やっと垂直の岩に登れるような足場が完成し、村人全員で岩の頂上に登ると、聖ジョンの描かれた古い絵画を見つけたのです。そして絵を岩の向かい側にあるエバンゲリストリア礼拝堂に持ち帰り、飾りました。ところが、その翌日になると、いつの間にか絵は岩の頂上に戻ってしまったのです。住民らは驚き、これは神のお告げであろう、絵は元の場所である岩の上に置かなければならないと言い出しました。であればどんなに長い月日が必要でも岩の上に礼拝堂を建設しようと決めました。大きな岩の上までたくさんの建設材料や水を運ばないと建設できないので困難な作業になりました。やっとのことで105段の階段を持つ礼拝堂が完成し、その中に絵画を納め、周りには一本の松と数本のオリーブの木を植えたとの話が残っています。